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  恵比寿麦酒記念館in恵比寿ガーデンプレイス(サッポロビール本社の地下にある) |
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バブル時代の大型再開発地区として、注目を浴びた恵比寿ガーデンプレイス。都心のど真ん中で、当時、渋谷と目黒の間に隠れて、注目度が薄かった恵比寿が、この開発「恵比寿ガーデンプレイス」によって、一大人気スポットへと変貌を遂げた。
■ 恵比寿ガーデンプレイスは、ビール工場の跡地 この恵比寿ガーデンプレイスがある場所は、もともと、サッポロビールの「恵比寿工場」があった。
というより、この恵比寿という地名は、ビールのブランド名から取られた名前でもある。そして、そのビールを造っていた、サッポロビール恵比寿工場の跡地に、恵比寿ガーデンプレイスが建っているのである。
■ 恵比寿の歴史は、恵比寿ビールの歴史 明治時代、これからの時代、「ビールが受ける」ということを考えた人も多かった。
事実、ビールは、明治時代の初期、、先端的なアルコール飲料として、当時のセレブに急速に受け入れられた。しかし、ビールは当時輸入品。そのことからも、日本で作れば、ビジネスになると考えた人も多く、当時は、さまざまな資本家がビール工場を設立した。
その一つの会社で、東京恵比寿で設立されたのが、日本麦酒醸造会社。その会社が作っていたビールがヱビスビールというわけである。
その後、1906年(明治39年)、札幌麦酒会社、日本麦酒会社、大阪麦酒会社(旭ビール)が、合併し、当時の市場シェアの約7割を占める大企業、大日本麦酒株式会社がスタートした。
■ ビール・発泡酒市場の市場シェアって、 しかし、ビール・発泡酒の市場シェアって、戦後は、キリンビールがずっとシェアナンバーワンを保っていて、2001年、約半世紀ぶりにアサヒビールが奪い返して、話題になっていなかったか?と思った人も多いはず。
それはそのとおり、1949年(昭和24)、大日本麦酒は、「過度経済力集中排除法」によって、日本麦酒と朝日麦酒に分割された。その後、日本麦酒は、1964年、サッポロビール株式会社に社名を変更、現在に至っている。
■ そして恵比寿工場は? 恵比寿工場は、そのような会社の合併、統合を受けながらも、戦争による空襲などによって一時的な中断もあったが、ビールの生産を続け、東京の麦酒の歴史の生き証人となっていった。
しかしながら、戦後の経済発展で、恵比寿工場は、都心のど真ん中になり、工場運営にさまざな制約があり、その移転が1980年代から検討され始めた。(経緯は、以前紹介したゲートシティー大崎に非常に近い経緯である)
また、折りしもバブル景気が始まり、土地開発の機運も高まっていたこともあり、その街づくりが、積極的に検討された。そして、恵比寿ガーデンプレイスが誕生したのである。
来週は、その歴史を生かした、街づくりのコンセプトについてインディケ!してみたい。
■ ちなみにですが 恵比寿ガーデンプレイス内には、ビール作りの伝統を伝える「恵比寿麦酒記念館」がある。入場は無料で、ビール施設に付き物の試飲コーナーもある。試飲は有料(1杯200円)であるが、最高の状態の麦酒が飲める。ビール好きにはたまらんだろう!ビバ・ビール。
関連タグ:恵比寿ガーデンプレイス,再開発,超高層ビルin東京,大規模商業施設,恵比寿,2004年7月UPコンテンツ
紹介した東京スポットJR線、東京メトロ 日比谷線 恵比寿駅 徒歩5分(JR線からは、恵比寿スカイウォークで直結)
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