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東京都心部の最後のフロンティアともいわれていた東雲(しののめ)一丁目地区の再開発事業。この地区は運河地帯だったことから愛称は「東雲キャナルコート」と名づけられた。
東雲キャナルコート(東雲一丁目地区の再開発)を一文で言うならば「三菱製鋼工場跡地を再開発し、約6000戸、約1万5千人の住居を誕生させる」ということになる。
この東雲キャナルコートが大きな注目されてきたのは、東京都心部の最後のフロンティアであるということから。
これは、銀座から直線距離で約4.4kmの近さで総開発面積が16.4ヘクタールというまとまった土地は、この東京にはもう残されていない。つまり、都心立地の大規模開発は東京では最後といわれているからだ。
1999年の基本的な都市計画の決定から10年目の2009年、この東雲キャナルコートの開発は最終局面を迎えている。
今回のインディケ!テーマは、東雲再開発、東雲キャナルコートである。
■ もともと東雲には何があったの? 東雲キャナルコート(東雲1丁目の再開発エリア)には、もともと三菱製鋼工場があった。というのもこの東雲はもともとは港湾エリア。工場や港湾施設が立ち並ぶ場所であった。
しかし、東京の拡大が進み、21世紀を前にして、すでに工場用に適さなくなってしまった。そこで、ここに再開発機運が高まり、 ・ 都心部での住宅供給ということで、都市再生機構 ・ 三菱製鋼跡ということで、三菱グループ が音頭をとり一大住宅供給プロジェクトがスタートした。
■ 東雲再開発はどのくらいの規模なのか? 「よく最大という言葉を聞くが、どこも最大と言っているだけでないの?」というあなた。東雲再開発の規模を主な湾岸部の住宅供給目的の大規模開発と比べてみたい。
- 大川端リバーシティー (佃島再開発) ・・・ 約3800戸(周辺部も含めて約6000人) - 晴海トリトンスクエア ・・・ 約1780戸。住居人口約5300人 - 東雲キャナルコート ・・・ 約6000戸 住居人口約1万5千人
この数字によって開発の規模を感じてもらえるとインディケ!している。
■ 東雲キャナルコート再開発の歴史 東雲キャナルコートの再開発は、当初、都市再生機構と南側の開発を請け負った三菱グループが先行して行い、その後、都市再生機構が区画整備した土地に対してそれぞれ事業者を募るという形で進んだ。
その結果、さまざまな巨大なタワーマンション群が出現することとなった。では、どのような事業者がどのようなコンセプトで住居棟を作ったのであろうか?
これは、来週インディケ!したい。
関連タグ:再開発,東京湾岸部の開発,東雲キャナルコート,東雲,2009年6月UPコンテンツ
紹介したインディケ!スポット東雲といえばイオンin東雲 - 場所はこちら
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